まず、このジャケットを見ていただきたい。まあ、なんて彫りが深く、雰囲気が怪しいんでしょう。女性は外人さんですね。男は日本人でしょうか?
マランド楽団によるコンチネンタル・タンゴの2枚組LPです。フィリップスは、さすが音がいいですね。
はい、今どき、こんなLP買う人いませんね。どこのお爺さんでしょう。はい、蛙さんですね。物好きですね。
そうして、買って、持ち帰り中を改めていたら、はい、これですね。出てきました。
(淀長さんは、ここまで。)
昭和40年の案内状です。「海軍第14期飛行予備学生出身者を結集した」海軍第14期会による戦没者慰霊祭。5 月27日には大阪護国神社で。10月には東京靖国神社で。個人情報があるので、住所の一部と名前の一部を黒くしてあります。ご了承ください。写真の右下隅を左クリックすると大きく見ることができるかと思います。
LPを買うと、ときどき、こういう挟み込みがあったり、書き込みがあったりするのは、古書の場合と同じです。
そうして、もう一つ挟み込んであったのは、ソノシートです。前の案内状に1枚300円と書かれてあるものです。前回の慰霊祭の中での歌やインタビューが入っています。
昭和40年、戦後20年当時というと、テレビでは円谷プロのウルトラQが放送されていたころでしょうか。蛙は、同時代に見ていました。南極怪獣ペギラの話を思いだします。ペギラから東京を救ったのは、戦後を生き残ってしまったパイロット(彼は出稼ぎに出たまま行方不明になっている)が、ペギラの苦手なペギン苔を積んだ飛行機に乗り込み、ペギラの口中に自ら志願して体当たり攻撃をしかけるという物語。番組の最後には、東京にまで行方不明の父(パイロット)を探しに来た小学生の息子が、新たに英霊となった父の遺骨の入った箱を抱えて、上野から汽車に乗って秋田に帰る場面が映されていました。ああいう番組の背後に、こういう生き残りたちによる戦死した仲間への慰霊祭が実際に行なわれていたのです。
歌詞カードの裏も紹介しましょう。
戦争を生き残った彼らのひとりに、このLPを購入した大谷中尉もいたのでしょう。
粗末なソノシートと豪華なLPと。軍歌とコンチネンタル・タンゴと。戦時と戦後とが、このLPを入れた箱の中にしばらく同居していたのです。
(コンチネンタル・タンゴじたいは、1930年代のドイツに大流行したのではあるけれども、日本での享受は、戦後が主でしょう。)
戦時と戦後とを生き続けた人々が、どのように時代の裂け目に折り合いをつけていたのかを詳細に検討するいとなみは、いまここのわれわれが、戦後といまここに取り沙汰されている戦後後(変なことばです、新たな戦前かも知れない、戦後からの脱却などと唱えるのだから戦後の後の時代を想定しているのでしょう)との関係、あるいは仮にそういう新しい時代が認識できるものとして、その時代の可能性と不可能性とを議論するために必要な作業だと思います。時代の裂け目の中で、人々がどのようにひとりひとり新しい時代と折り合いをつけていくのか、戦時と戦後とには、いまここのわれわれが考えるべきヒントがたくさん詰まっているように思います。
蛙思へらく、口で言うほど簡単には、明確な区切りなんぞは付けられない。時間認識は、重層的で、齟齬していることがらをも同時に含意しながら同時に存在しているように思います。
戦後の枠組みからの脱却などと軽々しく口にしてはいけないと、これらの挟み込みは訴えているようにも思えるのです。
中尉殿。中尉殿は、どうやって、この戦時と戦後との二つの世界に折り合いを付けて、二つの時代を同時にひとりの中に収めて生きておられたのでありますか?